成功者は人の役に立ちたいと思っていたか いろいろきいろの心の中
ちょっと前に、思ったことを書き始めて途中で「何言ってんだ」って思って放置してたやつを書き足して放出。
「何言ってんだ」って思いながら読んでね。
成功者とは、大きく人の役に立ち多くの人々に称賛され認められたものだとしたら、成功者の情熱は他人のためその一点に注がれたのか。
そんなことはないよね!
みんながみんなそんなにいい奴なわけない。
僕は「人が喜ぶ顔がみたいから」っていう気持ちだけで何でもできる気がしない。
成功者だって自分の興味の赴くままにやっていることが結果的に他人のためになったというだけだと思う。
だから人のために人のためにと変なエネルギーの使い方をするのは違うと思った。
人のために何かをするのが一番やりたいことならそうするのがいいけど、そうではないのにどこか他人からの評価のために時折変なエネルギーの使い方をしてしまうから困ったもんだ。
成功者という言葉に一歩近づきたいという欲はやはり僕の中にもある気がする。
だけどそれは、たいして腹は減っていないのに目の前に好物のドーナツがあったから手を伸ばす、それと同じただ欲に答えただけのような気がする。
人生まだまだこれからだけど欲を満たすだけの生活はなんとなくやばくなるような気がしている。
時には目の前のドーナツを今我慢することで得られる物もあるということに最近になってようやく実感してきた気がする。
他人から称賛されるには他人が何を求めているかを把握してそれに沿って自分を合わせることで上手くいくだろう。
しかしそれで自分がないがしろになるのなら自分に失礼だ。
自分もろくに満足させられないやつが成功者になろうとするのは順序が違うのだろう。
はあー、成功者になりたーい